日本100名城に選ばれた、鬼ノ城
国土防衛の施設として築城
663年、朝鮮半島で百済に援軍をおくっていた日本は、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に
大敗しました。
そのため唐・新羅の日本侵攻を恐れた朝廷は、早急に北九州から瀬戸内沿岸、畿内にいたる
国土防衛の施設を築く必要があり、鬼ノ城もそれらの一つと考えられています。
鬼ノ城は吉備高原の南縁に位置し、標高397mの鬼ノ山の山頂部に築かれました。眼下には総社平野と足守川中流域
平野を望み、瀬戸内からは遠く四国の山並みが望見される遠望絶景の地に立地しています。
攻めるに難しく守るに易い地に、堅牢で緻密な城づくりをした難攻不落の古代山城です。
築城年は不明ですが、発掘調査では7世紀後半に築かれたとされています。
鬼ノ城は、2006年4月6日に日本城郭協会が選定した、日本100名城(69番)に選定されており、観光名所でもあります。
【所在地】〒719-1105 岡山県総社市黒尾
地名の由来
鬼ノ城は、後世の文献である鬼ノ城縁起などに出てきます。 それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅という。 彼はやがて備中国の新山に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子 を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた」 これが一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来しています。
城壁・城門4か所・角楼・水門6か所などで構成
鬼ノ山はすり鉢を伏せたような形の山で、斜面は急峻ですが頂部は平坦です。
この山の八合目から九合目にかけ、城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っています。
要所には堅固な高い石垣を築いており、その威圧感は元から天然要害の地であることもあり、
圧倒的な迫力をもっています。城壁は土塁が主体で、城門4か所・角楼・水門6か所などで構成されます。
【城壁】
城壁は、全体の8割強が幅7m×高さ6~7mの版築土塁で作られています。城壁の基部において、内外に1.5m幅の敷石が敷設されており、城壁の下部が雨水や霜柱に影響されて痛まないよう崩壊防止のためだと考えられています。
【城門】
城門は、東門・南門・西門・北門の四門が知られており、主の進入路と思われる場所に西門があります。「歴史と自然の野外博物館」の基本理念に基づき、西門が復元されており、鬼ノ城を紹介する写真でよく使われます。
【角楼】
城壁の死角を補うために、さまざまな施設がつくられています。その多くは城壁に対して長方形に突き出しており、隅角にあるものを角楼といいます。背面側の防衛として、敵の侵入を防ぐとともに、西門の防備も意図していると考えられています。
【水門】
鬼ノ城には、流水による城壁の崩壊を防ぐため、水6ヶ所に門が設置されています。4か所は、城壁の下部の2~3mに石垣を築いて水口を設け、通水溝の上部を固めています。他の2か所は、浸透式で石垣の間を自然通水させています。