観光名所として残る岡山県のお城について、詳しく丁寧に解説するサイト『岡山県の城巡り』

●●●撫川城●●●

【沼城】

撫川城は泥沼の地に築かれた典型的な沼城で、平面形状は東西に約85メートル、南北約55
メートルの長方形をしています。
周囲には幅15メートルの堀を巡らせ、北西端からは足守川の水を引き入れており、西半に
高さ四メートル強の高石垣(野面積み)、東半には土塁が現存しています。
南に大手門を備えており、平城としては県下屈指の規模で壮観です。

【撫川城の歴史】

この城は1559年、備中成羽城主三村家親が備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城したと
いわれています。
備中高松の役には毛利方の国境防備の城、境目七城の一つとなり、当時の城主、井上有景と
秀吉軍との間で激戦が交わされました。
その後撫川城は宇喜多の支配下になり廃城となりましたが、江戸時代に戸川氏の領するところ
となりました。
戸川氏は4代目の安風で断絶しますが、その弟達富が撫川領分を継ぎ、庭瀬城の本丸・二の丸
に知行所を設けました。
撫川城と庭瀬城と呼び分けられていますが、このようにもともとは一体の城だったのです。
なお入り口に現存する門は、明治時代に撫川知行所総門を移築したものと伝えられています。

【境目七城】

この城は天正年間に毛利氏の城代として上山兵庫・植民部大輔などが在城し、対織田信長の
境目七城(宮地山城・冠山城・高松城・鴨城・日幡城・松島城・撫川城)の1つとして用いられ
ましたが、天正十年に秀吉によって落城させられました。