観光名所として残る岡山県のお城について、詳しく丁寧に解説するサイト『岡山県の城巡り』

●●●鬼ノ城●●●

【古代山城】

663年、朝鮮半島で百済に援軍をおくっていた日本は、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に
大敗しました。
そのため唐・新羅の日本侵攻を恐れた朝廷は、早急に北九州から瀬戸内沿岸、畿内にいたる
国土防衛の施設を築く必要があり、鬼ノ城もそれらの一つと考えられています。
鬼ノ城は標高400m以上の吉備高原の南縁に築かれており、眼下には総社平野と足守川中流域
平野を望み、瀬戸内からは遠く四国の山並みが望見される遠望絶景の地に立地しています。
攻めるに難しく守るに易い地に、堅牢で緻密な城づくりをした難攻不落の古代山城です。

【地名の由来】

鬼ノ城は、後世の文献である鬼ノ城縁起などに出てきます。
それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅という。
彼はやがて備中国の新山に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子
を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた」
これが一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来しています。

【鬼ノ城の構造】

鬼ノ城はすり鉢を伏せたような形の山で、斜面は急峻ですが頂部は平坦です。
この山の八合目から九合目にかけ、城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っています。
要所には堅固な高い石垣を築いており、その威圧感は元から天然要害の地であることもあり、
圧倒的な迫力をもっています。
城壁で囲まれた城内は比較的平坦で、約30ヘクタールの広さがあります。
4つの谷を含んでいるため、谷部には排水の必要から水門が6ヶ所に設けられており、また
出入り口となる城門が4ヶ所にあります。